JSDNニュース No.24

東日本大震災からの教訓
-病院のハードを守るために-

工学院大学
建築学部教授 筧   淳 夫

日本大震災では数多くの病院が様々な被災を受けている。その中でも津波による被災はその影響があまりにも大きなものであるために、地震そのものによる病院の被災状況が見えにくくなっているのではないだろうか。そこで、平成23年度に厚生科学研究費の補助金を受けて、東日本大震災による病院の被災状況を調査したので簡単に概観したい。図は青森から千葉までの太平洋に面した各県の全病院を対象としたアンケート調査の結果で、震度と建物の被害判定の結果である。おおよそ震度6を超えるとかなりの建物が壊れ始め、また半壊といったかなり大きな被害が見られるようになっている。
今回の地震の波が、建物の構造にあまり影響を与えない特性を持っていたこともあって、大きな構造的被害はあまり見られないが、約50病院を訪問して被災の様子をつぶさに調べたところ、病院の建築や設備、医療機器の被災の状況やその課題については、すでに阪神・淡路大震災の際にほとんど指摘されたことであった。構造的に維持できても、建築的な二次部材や設備の破壊によって病院の機能維持が難しくなったこと、その要因として電気や水の持続的供給が途切れたことなどは既知のことである。ただし、今回の新たな教訓は、断続的に長期にわたって続いた余震による心理的・物理的影響ではないだろうか。かなり大きな余震が続くことにより、「ボイラーや非常用発電機を使うと火事になるのではないか」「エレベーターが停まって閉じ込められるのではないか」「また停電して手術が継続できないのではないか」などの不安が高まり、いくつもの病院で本来使うことのできた設備を使えないでいた。もちろん、この余震は重油、ガソリン、支援物資などの物流にも影響を与えており、病院の復旧を遅らせていた。
広域災害が発生した際に病院は、被災者でありながら災害医療の拠点となることが求められている。その役割を果たすためには病院の被災を最小限にとどめることが必要不可欠であるが、そのための課題は既にいくつも明らかになっている。すべての対策を一度に行うことは難しいとしても、ひとつひとつできることから積み上げていくことが必要だと強く感じている。


災害時のケアと看護職への期待

国立精神神経医療研究センター
災害時こころの情報支援センター長
金  吉 晴

自然災害時の精神保健医療対応と、それを目的としていわゆる心のケアチームの派遣活動は、阪神淡路大震災(1995)以降の積み重ねを経てすっかり定着した感がある。ただし一時期言われていたほど、トラウマやPTSDが前面に出てくるというわけではなく、求められているのは幅広い精神健康についてのケアである。時には精神という制約すら外して、健康一般、ストレスや不眠についての相談やケアを行うことが有益な場合がある。東日本大震災においても、被災地の多くは元々精神医療へのスティグマが強かったこともあり、心のケアチームは様々な工夫を凝らして住民へのサービスにつとめていた。
精神保健医療対応の基本は住民との信頼関係の構築であり、困ったことを気軽に相談して頂けるような環境の整備が必要であるから、こうした工夫を重ねて健康コンシエルジュ的な役割を果たしていくことはきわめて大切である。しかしそのように考えると、果たして精神科医の果たす役割はどれほどのものであろうか、という疑問もわく。総合的な健康問題、時には生活の困難への対応は、むしろ看護職がその専門性を発揮すべき領域なのではなかろうか。実際、某県の心のケアチームは一時期、その役割を停止し、代わりに保健師チームを派遣していた。もちろん患者のニーズがある場合には医師の診察が必要であるから一概には言えないが、災害時の住民対応の専門研修を受けた看護師が、今後はもっと活躍する場面は増えることと思う。
私たち災害時こころの情報支援センターでは、WHOの作成した、災害時の心理的応急処置(Psychological First Aid: PFA)を日本に導入しており、この秋にはWHOからのトレーナーを招聘する予定である。そこで目指しているのは、指導者の育成である。自分自身がPFAを習得するだけではなく、自分と同じ職種の同僚はもとより、被災地の住民や一般支援者を教育できるようになって頂きたいと思っている。心のケアのあり方についてはまだ現場で混乱が見られるが、医療から発信されたメッセージは大きな信頼性を持っている。医療という立場から、適切な対応の方針が看護職を通じて広まっていき、日本の災害精神医療対応の骨格に寄与して頂けることを心から期待している。


名古屋大学減災連携研究センターの紹介

名古屋大学大学院・医学系研究科・看護学専攻
名古屋大学・減災連携研究センター兼任
横 内 光 子

東日本大震災で大きな被害を受け、いまなお困難な状況におかれながらも、日々復興に取り組まれている被災者の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。この震災以降も、国内外で多くの災害が発生し、さらに国内では今後の南海トラフ巨大地震をはじめとして、多くの自然災害やそれに伴う都市型災害が予測されています。名古屋大学では、災害被害の抜本的軽減を目指し、2010年に名古屋大学減災連携センター(以下、センター)が設置されました。2012年4月には、さらに組織を改編・拡大し、減災のための研究・教育・活動拠点として新たなスタートを切りました。
このセンターは、「分野連携により、減災モデルを構築し、地域協働により、安全安心な社会を実現する」ことをミッションとしています。総合大学の特徴を活かして、建築工学や都市工学、地震学や地質学、心理学や情報学、メディアコミュニケーション学、医学や看護学を含む多様な分野の専門家が所属しています。地域住民の「民」、国や地方自治体などの「官」、産業界の「産」、そして大学や研究所の「学」が連携・協働し、人材育成や連携体制の構築・強化という「ヒト」、教材や情報技術という「モノ」、そして防災・減災の戦略、研究とデータという「コト」を通じて、減災のための知を創出することで、減災社会を実現するというコンセプトに基づく研究・教育・活動を展開しています。
多様な専門分野、多様な背景を持つ方々と広く連携・協働する中で、ヒトの健康と生活をサポートする看護独自の専門性がより明確となり、社会の中で、防災・減災活動ならびに災害時の支援活動に求められる看護職の役割がより鮮明となっていくことを実感しております。センターの活動を通じて得た「知」を、今後災害看護学の知の蓄積と災害看護実践のさらなる発展につながる研究・教育・活動を進めたいと思っています。


大震災を振り返りDMAT看護師として考える

独立行政法人国立病院機構 水戸医療センター 看護師長
佐 藤 和 彦

阪神淡路の大震災の教訓をもとに、2005年にDMATが発足し今や隊員数は5,000人を超え、看護師は2,000人(隊員職種内訳41%)を超えている。多くの研修会・訓練を経験するなか、日本全土を震撼させた3・11東日本大震災を迎えた。甚大なる爪あとを残し、今もなお多くの場面で継続した援助を必要とされている。東日本大震災後何が変わったか、今何をすべきかを振り返り取り組んでいくことは、今、医療現場・看護教育に身を置いている者として共有し協働し取り組まなくてはならない。そして、内・外にその経験知を常にメッセージとして送り続けることが責務と感じる。
超急性期の活動がDMATの役割であり、東日本大震災では全国から約340隊、1,500人(3月11日~22日:12日間)が活動をした。陸路が断絶し空路で82チーム384名が被災地に派遣となった。活動として主に岩手県94チーム・宮城県108チーム・福島県44チーム・茨城県27チ―ムで、病院支援・域内搬送・病院入院患者避難搬送が主たる活動となった。DMAT看護師として多くの隊員が日頃のスキルを活かし、その現場・場面で最大限に力を発揮し活動したといえる。しかし、急性期に特化したDMAT活動戦略に即したミッション・装備では十分でない場面に多くの看護師が遭遇したことは言うまでもない。日本が今だかつてない大規模・複合災害の中で、多くの看護師は、慢性疾患に既往を持つ傷病者や、慢性疾患憎悪の経過が考えられる被災者を前に、撤収を余儀なくされた場面は多くみられていた。又、被災地では本来のDMAT活動もできず、隊員として無力感にもみられていた。
DMAT活動後の検証として、活動は48~72時間の急性期に特化した活動のみでなく、迅速性を維持しつつ、少なくとも1~2週間の急性期ニーズの継続ある時期や亜急性期活動の時期をシームレスに後の医療班に引き継げるようにと見直が行われた。発足後、災害現場医療そして病院支援、救急・災害ネットワークシステムの構築、特殊際災害(放射線・化学・細菌に起因した)対応など変革と続いている。そして、今、亜急性期に繋げるスキル・装備、ネットワークが看護師としても求められる。
災害発生後急性期であれば、まずは生命に目を向け出来るだけ悪化がないように、救命に目を向けることを主とする。しかし、津波や破壊的な地震を目の前にしては、急性期のみならず、亜急性期・を視野にいれた被災者への関わりが重要となる。災害関連死を回避できるように、外傷のみならず、慢性疾患患者、災害弱者(要支援者)が身をおいている、衣食住にわたり看護の視点で、支援に駆け付けた者で支え守っていく必要がある。
震災での大きな活動の場は、病院支援であり、医療・看護の物的資源・人的資源を投入することであった。また、対象者は傷病者のみならず、被災し地域の医療・福祉資源が破たんしたために、慢性疾患患者や高齢患者がDMATの活動以降に重症化している事を直視しなければならない。
規模が大きければ、活動範囲のみならず対象者も災害のフェーズ(経過)により変化してくる。この変化にも対応していくのがDMAT看護師の役割でもあると認識する。組織的に動ける、他機関との連携によりより早期に広範囲に活動できる事こそがDMATであり、看護の視点手の取り組みがより後にも影響しうると感じる。急性期のスキルと、日常生活が破たんした災害弱者(要支援者)が今後、どのような医療ニーズが必要になるのを念頭に置いた活動が重要である。
災害は今なお続き、これからも起こることを意識して、看護師として災害看護に取り組み、独りではなく皆で『今何ができるか・今後につなげるか』を考えて行きたい。


東日本大震災から1年・・・

高知県立大学 教授
竹 崎 久美子

東日本大震災から1年がたつ、本年4月末、再び宮城県を訪れる機会を得た。津波にのまれた町や田んぼは着実に整地され、新しく策定される町の青写真を静かに待っているかのようであった。仮設の商店街には活気が戻り、地元の人達の様々な復興の模索が息づいていた。ゴールデンウェークに差しかかったかつての観光地には大勢の観光客が戻り、よくよく話を聞かないと、そのホテルにも1年前のゴールデンウィークには仮の避難所として多くの被災住民が暮らしていたことは全く分からない。遠い他県から来てくれた救援関係者や観光客を心から歓待してくれる温かさは少しも変わらないが、全てが茫然自失であった1年前と異なり、今回は、何とか前に進もうとしている住民の方々の賢明さと、自分たちの足で立ち上がり、歩き始めている力強さを実感することができた。
しかし、被災された方々に話を伺うと、発災当初の記憶は断片的で、まだまだ当時の記憶をたぐろうとすると、せっかく動き出した時の流れを瞬間的に飲み込んでしまうような、「心の津波」が容易に押し寄せてくるようであった。現地はまだまだ、深い悲しみや痛手と隣り合わせで生き続けていることを感じた。
阪神淡路大震災の時、ある新聞に早くから「心の回復」に関する連載記事が掲載され、それを読んで愕然とした経験がある。1995年という年は、『奥尻島(津波災害)から1年』、『日航ジャンボ墜落から10年』であり、遺族にそれぞれインタビューした記事だった。奥尻島の人々は「周囲の人達に支えられて、頑張っていかなければ」という前向きな内容であったのに対し、日航機墜落事故の遺族は「月日がたつほどに悲しみが深まる」というものだった。当時この記事を読んで、神戸にもこうした永い月日が始まるのだということをつくづく感じたものである。
被災地の暮らしは、これからも少しずつ回復し、復旧から復興へ歩みをすすめることだろう。しかしそこに生きる人々の心が回復するには、永い年月が必要だということを忘れてはならない。その気持ちに共に寄り添い続ける隣人の存在が不可欠であり、私たちはいつまでもそれに寄り添っていきたいものである。全てを忘れ去るのではなく、辛く悲しい思い出と共に生き、それを大切にしていけるように。


日本災害看護学会
第14回年次大会のお知らせ


開 催:平成24年7月28日(土)、29日(日)
会  場:ウインクあいち(愛知県産業労働センター)名駅前
テーマ:東日本大震災から一年 復興とともにある看護
大会長:臼井 千津(愛知医科大学)

・特別講演Ⅰ:石巻医療圏における東日本大震災への対応 講師:石井  正
・特別講演Ⅱ:東日本大震災に学ぶこれからの地震対策 講師:福和 伸夫
・シンポジュームⅠ:東日本大震災から一年
~被災地の保健・医療・福祉の復興と再生 岩手県陸前高田市の取り組み~
講師:日a 橘子、他
・日本災害看護学会企画:東日本大震災プロジエクト 他
・一般市民公開講座:5企画
・特別企画Ⅰ~Ⅲ:災害とこころのケア 他
・ランチョン・特別教育セミナー:
災害看護教育のための効果的な医療シュミレーション
S.Barry lssenberg,MD,FACP
・ワークショップⅠ~Ⅳ:病院の安全、放射能対策・演習 他
・日本経済新聞社協力:東日本大震災報道写真上映
「記憶 忘れてはいけないこと」

口演・示説、展示、組織ブース 他
皆様のご参加を名古屋でお待ちしています


編集後記


東日本大震災から1年が経過しましたが、復興への歩みはもどかしいほどゆっくりで、今も困難な状況におかれる被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。また、不幸にして亡くなられた方々、ご遺族の皆様に心よりお悔み申し上げます。
ニュースレター24号は、建築工学、PTSD、減災に関する第一人者の先生方や被災地支援活動を行った会員の方から貴重な提言、情報発信をしていただきました。
会員の皆様に、ニュースレターを通して、災害への備えをともに考えていただける機会となるよう、日本災害看護学会社会貢献・広報員会は、これからも一層内容を充実させて情報発信して参りたいと考えています。皆様からの投稿をお待ちしております。

委員長:臼井千津
委 員:今井家子、大山太、瀬戸美佐子、牧野典子、城戸口親史、大草由美子(記)






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会員数:2024年6月30日現在

名誉会員10名
(うち物故会員4名)
個人会員 1325名
学生会員 10名
組織会員 33名
賛助会員 3組織

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