JSDNニュース No.27
東日本大震災の発災から3年を経て
-災害看護学からの想い
日本災害看護学会理事長 南 裕 子(高知県立大学学長)
東日本大震災の発災から3年が経過しました。災害看護学の視点から見れば、この震災はまだまだ続いているといえましょう。被災地にいらっしゃる看護職の方々は、ご自身が被災者でありかつナースであることの葛藤を抱えられ、ご自分のなかでの折り合いのつけ方に暗中模索され続けた3年間であったのではないでしょうか。
昨日が今日へ、そして明日へと続くことが信じられない時期もあったのではないでしょうか。ご自分が被害を受けられた人はもとより、たとえ震災の直接的な被害を免れても、また被災の程度が比較的軽くても、被災地にいらっしゃる方々の受けた傷の深さはまだまだ癒されていないのではと想像いたします。阪神淡路大震災から18年間経過しても、この傷はまだ残っていると実感した体験をしましたが、どれほど長い時間を経過したら人は本当に癒されるのか、また本当に癒されることはあるのか、災害看護学に携わる者としては息長く見守り続けることが必要だと思われます。
被災地の看護現場でお仕事として、またボランティアとして支援活動をされてこられた方々のなかには「精一杯のことはしてきた」と思われながらも無力感や罪責感、「持っていくいき先のない怒り」にも苛まれることがあるのではと思います。どのようなケアもどのようなナースの行為も、意味がないというものは何一つとしてないと思われます。その行為の意味を丁寧に探っていくのも災害看護学の役割だと思います。
人々に寄り添い、たとえ雑務のように思われても、そこにすべき必要なことがあり、他の人ではできないことがあるから手を差し伸べて添え木のように手立てをし、誰も体験したことのない災害だからこそ手探りしながら人々の復旧への歩みを支えている皆様に深い敬意を覚えます。「元気になれる人から元気になろう」と言い合いながら自然に笑顔になる日々が多くなりますように、そしてどのようにしてご自分を取戻されているのか教えていただけたらと願っています。経験から学ばれた方々の言葉の重みを大切にするのも災害看護学の役割と信じています。
震災後3年を経過して
東日本大震災看護プロジェクト活動報告
日本災害看護学会 東日本大震災看護プロジェクト委員会
吉 田 俊 子(宮城大学 看護学部)
「東日本大震災看護プロジェクト」では、平成23年度より東北地方の会員を中心として活動を開始し、今年度新たに2名の委員に参加いただきました。平成26年1月現在、14名の委員により、以下のような取り組みを実施しています。また、平成24年11月には南理事長を迎えて宮城大学で行われた「健康と復興まちづくりを考えるシンポジウム」に参加し、日本災害看護学会主催による分科会を開催しました。
現在までに実施してきた東日本大震災看護プロジェクトの活動を示します。
①仮設住宅で暮らす高齢者の健康支援・交流支援(南三陸町)
②看護職を対とした語りの場の開催(気仙沼市)
③原発事故による健康被害について看護職への知識提供、母子への健康支援活動(福島市・三本木町)
④被災地域の健康情報集積と健康問題明確化への支援
⑤災害急性期における看護支援への調査、分析
今年度の取り組みとして、特に④の強化をはかることを目指しています。宮城、福島などの仮設住宅がある地区の一部において、震災後での看護ケアと健康状態との関連を調査して、震災後の看護支援の効果について検討を行っていく予定です。現在、宮城、福島それぞれの地区を担当するチームを編成して活動を開始しております。
震災後3年が経ちますが健康と生活が複雑に絡み合い、多くの健康問題をもたらしている現状があります。引き続きの皆様のご支援をよろしくお願いいたします。
日本災害看護学会組織会員会の課題と展望
望 月 律 子(日本災害看護学会組織会員理事・静岡県看護協会長)
日本災害看護学会の特徴の一つは、組織会員を学会組織に位置づけ、組織会員間の情報共有および相互啓発を推進してきたことです。災害時にはそれぞれ設置目的が異なる組織会員が有機的に連携して、支援活動を組織的に推進してきました。特に東日本大震災のように広い範囲に複合災害が発生した場合、支援活動は、的確な情報交換と長期に亘る支援計画を実行できる組織力が必要です。東日本大震災は、私たちに災害看護のあり方について重要な示唆を与えました。日常における組織間ネットワーク活動の重要性と、支援者の育成、支援者を支える組織力です。組織力は、支援活動を経験した看護職へのこころのケア対策においても効果をもたらしています。支援活動を経験した多くの看護職は、組織のサポートによって日常業務に戻ることができ、組織の職員を対象とする災害看護教育・訓練活動においては、中心的な役割を果たしています。
組織会員は、平成25年7月1日現在、53組織が登録しています。学会設立当初に比べると減少傾向にあります。一方、個人会員は1,352名と年々増加しています。災害看護学会年次大会への参加者も増加しており、災害看護への関心は確実に高まっている中で 組織会員の登録数が伸び悩んでいる要因については「入会要件」を検証することが課題になっています。組織会員のメリットは、災害看護学会年次大会前日に開催される「組織会員会」に出席した会員には実感していただけるのですが、会員登録のメリットをいかに伝えていくかが、組織会員会委員会の課題でもあります。第15回年次大会の「組織会員ブース」では、組織会員が有する災害マニュアルや教育プログラムが提示され、幅広い情報共有の場になりました。大学や短大の教育機関では、学部生が学会誌を活用して卒論に取り組んだり、学部生が学会に参加する企画も多くなりました。個々の会員が組織会員としても登録されたとき、本学会の目的である災害看護に関する研究・実践活動のネットワークづくりは、急速に促されることが期待できるのではないでしょうか。
組織会員会委員会として、会員皆様からの期待に応える活動を推進するとともに、組織会員への登録について検討していただくことを期待して、年頭のご挨拶に代えさせていただきます。
フィリピン共和国での台風災害における支援活動
~国際緊急援助隊員としての活動~
独立行政法人国立病院機構 災害医療センター
災害専任副看護師長 江 津 繁
11月8日、台風30号(国際名Haiyanハイヤン:フィリピン名Yolandaヨランダ)によって甚大な被害にあったフィリピン共和国、特に被害が集中したレイテ島タクロバン市でJICA国際緊急援助隊医療チーム1次隊の看護師として11月11日から24日(実活動7日間)活動してきました。
11月10日、国際協力機構(JICA)は日本政府に対するフィリピン共和国政府からの支援要請に基づき、国際緊急援助隊(JDR)の派遣を決定しました。発展途上国の多くは、経済・社会基盤が脆弱であり、災害が発生した際に充分な救援活動を行えないのが現状です。こうした課題に応えるべく、日本は国際緊急援助を行っています。支援には人的、物的、資金援助があり、災害の規模や被災国のニーズに応じて、いずれかないしは複数を組み合わせて実施しています。人的援助のなかには、救助チーム、医療チーム、専門家チーム、自衛隊部隊があります。特に今回は、2011年3月11日、東日本大震災での海外からの支援に対しての相互扶助の目的もありました。
今回私は、医療チームの看護師の一員として活動をしてきました。医療チームの隊員は団長1名、副団長2名(医師1含む)、医師3名、看護師7名、医療調整員7名(薬剤師、放射線技師、救命士、臨床検査技師)、業務調整員5名で構成される25名の医療チームでの活動でした。11月10日、21時JICA事務局よりフィリピン共和国での台風災害に対する派遣協力依頼のメールが国際緊急援助隊隊員に対し、一斉送信されました。普段より災害に関して関心を持っていた私は、被害が甚大という報道を目にしていたため、JDR派遣があるかもしれないと思っていました。すぐに職場長の了承を得て、勤務調整を行い、11日、成田空港で結団式を行い、出発しました。活動場所のレイテ島タクロバン市までの移動経路は、フィリピン国内線、フェリー、マイクロバスと様々な手段を使い移動しました。道路状況、ガソリンの不足、治安(夜間外出禁止令)等の様々な問題があり、実際に活動開始できたのは、日本を出発して4日後の11月15日でした。被災地ではクラスターミーティングへ参加し、活動場所の選定が行われました。活動場所では、日本より持参した十字テント、医療資機材を展開し、診療テントを設営しました。レントゲン、血液検査等もできるクリニックを設置し、活動したというイメージです。私たち1次隊の7日間の活動期間では、再診患者を含む779名の患者の診察を行いました。疾患は、外傷(下肢の外傷)、呼吸器感染、消化器疾患、脱水(小児)等が多く、時期により疾病構造も変化していきました(急性期の外傷患者から亜急性期の感染症患者が増加していく)。十字テント内での看護活動は、日本での通常の看護師の役割と同じです。問診、診察の介助、処置、生活指導を主たる役割とし、活動しました。生活指導に関しては、同行してくださった通訳の方を通し、現地の生活習慣、現在の生活状況を把握した上で、指導にあたりました。また、看護実践を残すため、カルテには、積極的に看護記録を残すように努め、特に再診患者に関しては、継続看護が行えるようにしました。被災地での活動であり、医療資機材、マンパワー等の問題から活動に制限が生じるなかで、いかに普段の看護を提供できるかを臨機応変な対応、工夫で対応しました。十字テントでの活動の他に、クラスターミーティングで得た情報から、半壊状態の病院で発災後より数名のスタッフで不眠不休で診療にあたっていたバセイ市の病院支援も交代で行いました。外来診療を支援し、その間、病院スタッフの休息時間を確保することができました。
今回の活動場所は、甚大な被害を受けた被災地であり、被災者の方はもちろんのこと、私たち医療者も劣悪な環境下での活動でした。自分達の健康管理も重要となるため、充分な休息を取る、無理しすぎない事を常に心がけていました。また、自分達のストレスケアにも目を向け、適度にミーテイングを行い、コミュニケーションを密に図り、チーム医療が実践できるようにも心がけました。災害看護というと特別な能力を要するというイメージですが、普段の看護の延長であり、ただ、医療資機材、マンパワーの不足など様々な制限があるので、普段の看護を提供できるような工夫、柔軟な対応が求められると感じました。また、看護師だからこれはやらない、やれないではなく、被災者のニーズに柔軟に応じる事ができる能力が必要だと感じました。また、被災地での活動となると、通常業務を誰かに引継ぐ必要がありますが、それらを快く引き受け手くれる同僚等、サポートしてくれるスタッフがいるからこそ、被災地での活動に専念できることを強く実感しました。
最後に今回の台風被害で亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、1日も早い復興をお祈り致します。
選挙管理委員会より日本災害看護学会評議員選挙のお知らせ
10月上旬に送付いたしました日本災害看護学会評議委員選挙公示にしたがって、平成26年2月に日本災害看護学会評議員選挙を実施いたします。評議員選挙の投票用紙は、平成26年2月上旬に日本災害看護学会選挙管理委員会から各正会員の連絡先に直接お送りしますので、送付される所定の用紙を使用して指定の期日(平成26年2月28日、当日消印有効)までに投票して下さい。
選挙人は平成25年11月30日(土)までに本年度分の会費を納入し会費納入者名簿に掲載された正会員、被選挙人は入会年度を含めて3年以上経過した正会員です。評議員の選出は、会員区分別および所属地区別に行います。所属地区は、平成25年11月30日時点で登録されている所属先住所を優先して区分されています。各地区の定数は地区の会員数に応じて定められています。詳細につきましては、「日本災害看護学会評議員選挙告示」をご覧下さい。
平成26年1月23日 日本災害看護学会選挙管理委員会
日本災害看護学会 第16回年次大会のお知らせ
開 日 2014年8月19日(火)~20日(水)
会 場 京王プラザホテル(新宿)・工学院大学新宿キャンパス
テーマ 災害看護 「もの」のデザインと「こと」のデザイン
大会長 筧 淳夫(工学院大学建築学部)
概 要 日本災害看護学会第16回年次大会は2014年8月19日(火)・20日(水)の両日にわたり、東京の新宿駅西口にある京王プラザホテルと工学院大学新宿校舎の2つの会場において開催いたします。第16回年次大会のメインテーマは、災害看護:「もの」のデザインと「こと」のデザインとしました。まずは、災害が起きた場所(被災地)において、看護という「こと」をどのようにマネジメントして提供するのかといった「ことのデザイン」について考えてみたいと思います。そして、災害看護を取り巻く環境の中から建物や場、道具、ツールなどの設定や使い方といった「もののデザイン」についても焦点を当ててみたいと考えています。災害看護においては、災害が発生する前の段階、発災後の段階、そして被災が長期化した段階など、さまざまなステージにおいて、求められる「こと」は異なってきます。それぞれの段階において適切なマネジメントをすることが求められ、その環境を整えるための要件の一つとして、「もの」が位置づけられます。「こと」と「もの」の両面から災害看護を考えようというテーマです。
是非とも、全国から災害看護にご関心のある方々にお集まりいただき、様々な視点から情報を収集し、議論に参加していただければと考えております。
全国の多くの方々と会場でお会いできるのを楽しみにいたしております。
編集後記
学会員の皆様、新しい年のニュースレター(NL)第27号をお送りします。今回は、東日本大震災後もうすぐ4年目を迎えようとしている被災地の人々を思い、理事長はじめ理事たちのメッセージをお届けしました。今年は昨年以上に「想定外の災害」が発生しています。さらに会員の力を結集していかなければならないと感じます。ロシアのソチで開催された第22回冬季オリンピックは、日本の選手達のチーム力と故郷で応援し続けてきた人々との強い絆を感動的に見せてくれました。あらためて日本の底力を感じました。NLも会員のチーム力と絆を支える一助になれるよう、いっそう努力したいと思います。
■委員長:臼井千津 ■委員:今井家子、大草由美子、大山太、城戸口親史、瀬戸美佐子、牧野典子(記)