JSDNニュース No.28
ネットワーク活動報告
平成25年台風26号による伊豆大島の台風被害における初動調査
岡﨑 敦子(久留米大学病院 高度救命救急センター)
西上 あゆみ(梅花女子大学 看護学部)
平成25年11月16日伊豆大島北部を通過した台風26号は、東京都大島町で1時間に100ミリ以上の猛烈な雨を降らせ、24時間雨量は824ミリに達する記録をつくり、死者36名、行方不明者3名となる甚大な災害を引き起こしました。ネットワーク活動調査・調整部では、災害発生直後から情報収集を行い、5ヶ月後の平成26年3月に大島町の4施設(社会福祉施設、大島町役場、医療センター、民生委員児童委員協議会)にご協力いただき、被害状況と看護活動について聞き取り調査を行いました。社会福祉施設は、発災当日は土砂災害により身動きが取れませんでしたが、翌日から要援護者の安否確認、受け入れを行いました。また立て続けに台風27号が接近し、2回目の避難勧告が出されましたが、要援護者の受け入れを継続しました。要援護者は1人暮らしの方も多く、普段の生活状況の把握に苦慮しましたが、外部支援の協力を得て適切なニーズの把握とケアの実践を行っていました。大島町役場では、医師の指導のもと「医療保健連絡会」を設け、毎日、医療福祉関係者の定例会議が開催されました。被災1ヶ月後には保健師による「こころと身体の健康調査」を実施し、今後1年後の調査も予定されていました。医療センターでは、被災当日の早朝より患者が次々に運ばれ、当日の外来診療を中止して計7名の外来対応が行われました。その後は入院患者や透析患者の継続治療のために、島外へ搬送することが検討され、ヘリコプターや船で東京都内の病院へ転院する手続きが行われました。島外に避難した方は、11月上旬に帰島されました。民生委員児童委員協議会は、被災1ヶ月における住民の住まいや生計、必要物資、健康面等について訪問調査し、きめ細かく住民の被災状況を把握していました。125件の訪問調査の結果、健康面では不眠、気疲れ、足腰の弱り、高血圧、家族の精神的なダメージ等の症状を感じている人がいました。
被災後約5ヶ月が経過した時点でも、行方不明者の捜索や仮設住宅等で避難生活が継続されており、町全体が災害前の生活には戻っていない状況でした。連続して2つの台風が接近したため、災害対応が長期化し、住民の島外への避難が余儀なくされました。平時から顔が見える関係性があり、信頼関係を構築されていたことが、災害時に互いの役割を理解する柔軟な対応へと繋がっていました。
大島土砂災害
東京DMAT第1陣としての救助活動
東京都立広尾病院看護部 橋 朋絵
台風26号による土砂災害の発生にともない、東京都の災害派遣医療チーム(東京DMAT)第1陣として大島での救助活動を行なった。自衛隊のヘリコプターで大島に着いたのは土石流発生から半日後の10月16日午後3時過ぎ。大島空港ではすでに救出された重症な数名がヘリコプターによる島外搬送のため待機していた。重症の方々ばかりで、現場の被害の甚大さが予測できた。
大島医療センターで島外へ搬送する重症者の状態を確認すると、すぐに役場職員より、救助の要請が入った。土砂で片側通行となった道を、車で沢の上流へ向かった。情報が錯綜する中、迷いながら土石流で寸断されている道を徒歩で進むと救助現場があった。午前11時過ぎに始まった警視庁レスキュー隊の救助活動で、救出対象者の上半身は掘り出されていたが、下半身は土砂と濡れた木の枝、建材などで埋まっていた。直ちに、我々東京DMAT隊も活動を開始、薬剤投与、酸素投与、保温、声かけ、など限られた条件の中で懸命な救命活動を行なった。
救出現場で見守る家族から看護師に対し、「被災者に会いたい。」と申し出があった。家族の想いをチームで共有し、安全面を確保した上で、現場へ家族に入っていただいた。面会後、家族は「頑張る姿が見られてよかった」と涙ながらに話した。治療だけが、医療ではないことを強く感じた。夜通し活動を行なった後、翌日午後2時に日本赤十字社の救護チームへ引き継ぎを行い、活動を終えた。
24時間の活動を通し、東京DMAT隊員として担う役割の多さと重さを実感した。リーダー医師の指示のもと活動を行なったが、救命処置・治療の介助はもちろんのこと、傷病者・家族・行政・救助チーム・現地消防・地域住民と連携をとることの大切さと難しさを経験した。また被災者の家族に対しては、急性ストレス障害を念頭に入れながら、寄り添うことが必要であると痛感した。
今回の出動で「被災者に迅速な急性期医療を提供する」という災害時における医療の理念を再確認することができた。この貴重な経験をDMAT隊員皆で共有し、振り返り、また次回の派遣時に活かしていきたいと思う。
大島土砂災害被災者への看護
東京都立広尾病院看護部 菊池 志穂
平成25年10月16日、東京都大島町では台風26号により、火山地域で発生した大規模な泥流により甚大な被害が発生した。広域基幹災害拠点病院である当院では、その傷病者を受け入れ、医療ケアを行った。
受け入れ後、直ちに災害により外傷を負った被災者や慢性疾患が増悪した被災者の救命や疾患の治癒促進への援助が行われた。徐々に回復していく過程において、私たち看護師は、被災者である患者に起こりうる心身の反応や症状を注意深く観察した。死者も出た大規模な災害を経験した後に、心のバランスを崩し精神的に不安定になることは人間の正常な反応であるといえる。それに対するケアで重要なことは、時間と共に変化する心理状態を理解し、その時期に応じた支援を行うことである。ある被災患者は、一般病棟に移動された際に、看護師の「大変でしたね。」という一言に涙を流され頷くだけだった。そこで私たちは、無理に話を聞き出すことはせず、まず傾聴することから始めた。それはただ話を聞くだけでなく、相手の気持ちをそのまま受け止め、共感した態度で接するよう努めた。その患者は、家族と共に当院に搬送されており、1名はすでに軽快し退院されていた。そのご家族自身も被災者であり両親を亡くされていたものの、落ち着いた様子で面会に来られていたため、患者との時間が十分にとれるよう環境に配慮した。また、もう1名の家族も順調に回復し、車椅子で患者のもとに面会に来ることも多くなった。そこで、落ち着いた環境で家族との時間が少しでも多く確保できるように、ご家族の来院時間に合わせて車椅子に移乗し、デイルームで家族3人過ごせるようタイムスケジュールを立てた。被災から約2カ月が経過し退院も間近となった頃、今後について患者に尋ねた。すると「すぐに島に帰るのではなく、しばらくは実家で家族と静養します。でも、島では友人の家を借りることができたので、いずれ帰島することにしています。」と明るい表情で話されていた。
患者は、つらい経験をしながらも、家族の支えにより激しく混乱することなく、退院を迎えることができた。また、生活の再建への前向きな気持ちと素直な心を、安定した様子で医療者に話すことができるまでになったことから、入院中、家族との時間に重点を置いたことで患者の復興への支援につながったのだと考える。
北海道の「豪雪・暮らし・看護」
日本赤十字北海道看護大学 尾山 とし子
4月も終わる頃、ようやく北海道にも桜の便りが届き始めました。
私の住む北海道オホーツク地域は、毎年流氷が訪れ、すばらしい海の幸を味わうことのできる地域です。しかし、今年は数十年ぶりに流氷が沖合に長くとどまっているためか、なかなか暖かくなりません。寒さといえば昨年3月、猛吹雪で父親が小学生の娘に覆い被さるようにして凍死していたというニュースは、記憶に新しいところですが、事故があったのもオホーツク地域の町でした。この猛吹雪では、気象庁の予報は正確なものだったのですが、現実あの日の午前中は好天気で、日帰り温泉に出かけた同僚さえいました。しかし、午後になって、猛スピードで恐ろしいほどに天候が一変したのです。こうなると情報をどのように理解して、日常生活や行動に繋げるかも重要になってきます。
この時に感じたことは「北海道は雪や寒さに慣れている」という、住民の自然に対する認識の甘さでした。最近は、雪に対する車の性能が良い、また、大雪になってもすぐに除雪されるため、車中に取り残され、立ち往生するなどとは考えもしないのです。ゆえに、運転は軽装で、スコップを携行する等の雪対策をしていないことが多いのです。
北海道では、この猛吹雪で9人が死亡したことを教訓として、風や地形などが複雑に絡む吹雪の量や積雪の予測は、豪雨以上に困難であるとの見解から事前の取り組みを重視するようになりました。例えば視界不良が起きやすい道道の区間指定を行い、パトロールによってすぐに通行規制ができるようにする等です。結果、今年2月中旬の猛吹雪による大きな被害は出ませんでした。
こうしてみると、早めの対応が重要であることがわかります。また、同時に情報を自分のこととして受けとめていくという能力も必要なのではないでしょうか。普段、病院や施設で勤務する医療職者の私達は、どれだけ予測のつかない事態に対して真剣に想像力を駆使して立ち向かっているでしょうか。多くの人々の健康と命を預かる私達は、災害を想定した日常を送っていかなければならないのかもしれません。よく言われるように、日常的にできないことは、災害のような非日常的な場面ではなおのことできないからです。まさしく「いざは、普段なり!」です。
さらに、災害時には暮らしの知恵も必要です。本学では、災害看護の授業でハイゼックスを使った炊飯や、冬に冷たい体育館の床で横になってみるということも行っています。生活体験の少ない学生にとって、これらは有意義な体験だと考えています。
これからの災害看護は、施設内だけではなく、もっと地域の方々の暮らしに目を向けた「何か」ができるのではないかと感じて模索しています。これからどのような災害が私達に立ちはだかるのか想像もつきませんが、その時看護が活躍できるよう、日々適度な緊張感を持って暮らしていきたいと思っています。
豪雪時の病院対応
医療安全管理係長 和気 美佐子(国立病院機構 沼田病院)
平成26年2月の豪雪(雪害)は10年に1度と言われの強い寒波が日本列島に流れ込み、各地に大きな被害をもたらしました。
2月14日金曜日夕方、私は看護師長当直で救急患者の対応を行っていました。雪は降り続き準夜勤務の看護師が帰ろうとする頃には車は雪にスッポリと埋もれてしまいました。勤務が終わった準夜勤務者と事務当直者も全員で3~4時間をかけて、やっと道路までの雪かきをして車を移動させましたが、通り沿いの近所の方が「この状況で車を走らせても途中どこかで止まったらもう動けないよ、車は乗らない方がいいよ」と声をかけてくださいました。その言葉に家に帰るのを数名の看護師があきらめました。あまり利用されることのなかった、看護師仮眠室がおおいに活躍をしました。
2月15日土曜日の朝になると1m以上の雪の山で病院が囲まれていました。次の看護師長と勤務を交代するはずでしたが、出勤することができないと電話が入りました。内科当直医師は市内に住んでいたため当直を交換しましたが、外科当直医師と私は2日目の当直に突入ということになりました。この時はまさか月曜日の朝まで3日間連続の勤務になるとは考えてもいませんでした。病棟は師長代行者に次の勤務者の配置ができるよう調整を依頼し、同じスタッフが勤務を続けてもしかたないが、しっかり休憩を取りながら事故のないように勤務をするように指示しました。
駐車場の雪は深くこれでは、救急車も入ってこられないと思い、再び、事務当直者と駐車場の雪かきを行いました。しかし、やっと人が通れる程度の道を作るだけで時間も体力も限界でした。そうこうしていると救急隊から電話が入り「雪に埋もれた車の中に長時間いた低体温症患者の搬送をお願いしたい」と搬送依頼があり、もちろん「すぐに搬送してください」と返事をしましたが、駐車場に救急車は入れず、救急隊員が路上に止めた救急車から患者を担いで急患室に運ぶという状況でした。重傷患者だったらと今考えても冷や汗がでます。
2月16日日曜日、雪はまだ降り続けていました。入院患者の食事は雪の影響で食材の搬入がされず翌朝までの提供しかできない状況でした。勤務を続けている看護職員や医師の食料がないため、事務当直者に近くのスーパーマーケットに買い出しに行ってもらい配布しました。明日は月曜日、外来診療はどうするのか・・・ということになり、無理な受診を避けるよう予約患者に電話連絡することにしました。事務当直者、当直医師、当直看護師長で手分けして予約患者全員に連絡を終えたのは消灯時間を過ぎた頃でした。
2月17日月曜日、高崎方面から沼田に向かう17号線は雪に埋もれた車や雪の高い壁で身動きが取れず、高速道路は通行止めとなっていました。ところが、どんな手段で来たのか看護師長は2名が朝に顔を出してくれました。しかし、どんな危険を乗り越えて到着したのかと考えると複雑な思いでいっぱいでした。
今回の豪雪で道路も物流も止まり陸の孤島となった状況で、入院患者を守ったのは帰宅の手段をなくした職員と雪の中を歩いてこられる範囲に住んでいる職員達でした。私は連続3日間の当直業務でいろいろな部門の調整や対応など、大変貴重な体験をさせていただいたと思っています。しかし、病院に行きたくても動けなくて家から駅まで2時間かけて歩きやっと駅に到着したが電車は何時になっても動かず、諦めて5時間かけて自宅に帰ったと電話の向こう側で泣いていた看護師長に「気にしないで頑張るから」と言っていたが立場が逆であったら、私も、電話の向こうでどんな思いをしていたのか、どちらの立場であっても大変な豪雪災害であったと思いました。
平成26年度日本災害看護学会選挙報告
平成26年2月から平成26年4月にかけて実施いたしました日本災害看護学会役員・評議員選挙が無事に終了し、平成26年度から平成28年度の役員ならびに評議員が選出されましたことをご報告いたします。会員の皆さまには、円滑な選挙運営にご協力を賜り、厚くお礼申しあげます。
平成25年度選挙管理委員会
日本災害看護学会 第16回年次大会のお知らせ
開 日 2014年8月19日(火)~20日(水)
会 場 京王プラザホテル(新宿)・工学院大学新宿キャンパス
テーマ 災害看護 「もの」のデザインと「こと」のデザイン
大会長 筧 淳夫(工学院大学建築学部)
編集後記
現在の委員が編集するニュースレター(NL) は今回で最後になります。記事執筆などでは多くの方々にご協力を賜り、改めて感謝を申し上げます。至らぬ部分も多々ありましたが、我々も精一杯やらせていただきました。ご支援ご協力どうもありがとうございました。
さて、最近の世界規模での災害人道支援では、“Cluster approach”という手法が取り入れられたり、医療では“FMT (Foreign Medical Team)ガイドライン”の作成がWHOやワーキンググループにより進められたりしています。いよいよ災害支援もより“質”を重視する時代になってきました。このNLも、このような世界の動きに敏感に反応しながら、会員の皆様へ情報を発信し続ける事が大きな役割であると思っています。次号は新委員により行われますが、これからも本学会NLどうぞよろしくお願いいたします。
■委員長:臼井千津 ■委員:今井家子、大草由美子、城戸口親史、瀬戸美佐子、牧野典子、大山太(記)