JSDNニュース No.31
常総市水害において、たった一軒流されなかった「白い家」の住人中澤さんからのご投稿
筑波学園病院 中澤和弘
災害当日の朝、多少の雨が降っていましたが、まさか決壊するほどのことではないと私自身は考えていました。午前8時頃に土手に水量を見に行き確認はしましたが、土手を超えれば水田が広がっているのでなんとかなるのではと考えていたのです。避難指示も出ていないし大丈夫だろうと考えていました。この時点で、上流で600ミリ以上の大雨が降っていたことは知らず、そのことが大変悔やまれます。家を建てる時に500ミリの雨量にはこの堤防は耐えられないだろうと考えていた私には、今回の災害は大変ショックな出来事でした。私は仕事のため学校も休みとなって自宅待機となっていた子供達を残して外出し、仕事を済ませていた所、「鬼怒川が決壊した、どこにも逃げられない」と妻から連絡がありました。私はとっさに「学校の方向へは逃げられないのか」と、妻に言いました。妻は「もうそんなレベルじゃない、色んなものが流れてきているんだよ」と言いました。常日ごろから危険な時は外へ出るより、家に居ようと話していた私達はその決断をしました。家の中にいて救助を待つ。今はそれしかないと考えました。私は途中で車を止め、走っていきました。今から考えるとたどり着くはずもないのに、何とか家族を助けたいその一心で歩き続けました。あまりの水圧の凄さに断念し、途方に暮れ、家族が救助されていないか探しましたが何処にもいません。目の前ではがれきや倉庫や家が流されはじめていました。私はとっさに土手に上がり決壊現場まで行きました。そこで見た光景はまさに悪夢で、沢山の家が流され壊されていました。まるで映画のワンシーンのようでした。その後、我が家を見てまだ流されていないのを確認しました。水場で土がもろい地域であること、気候変動による極端な現象はすでにはじまっていることは、分かっていたので、家にはそれなりの対策をおこなっていました。 家の建築には基礎が大事であり、基礎こそじっくりかけて鍛えることに意味があると考えていた私は、重量鉄筋で作り制振システムを導入し、コンクリートで覆い、地中には18本もの杭を打ち込みました。公平性に欠けてしまうのでハウスメーカー名は述べませんが、金額が高いことは知っていました。しかし仕事で帰りが遅いときも多い私は、自分がいない時でも家族を守りたいと、何よりも家族の安全を優先しました。もちろん頑丈な家を作るとそれなりのお金はかかりますが、災害に強い家を作ろうと考えた結果が未曾有の水害から家族の命を救うことにつながったことは事実です。今回の水害を通して、お金に替えられない大事なものを、改めて見直すきっかけになることを期待します。
災害において、自己の資産については保障しないというのが、国の方針であり、法律です。近頃の日本は災害が増加しています。そんな中で、家族を守るということは一番大事なことです。いろいろな意見があると思いますが、私はまずは、強い家を作ろう、人を守る強い家を作ろうというのが一番大事なことだと強く感じました。そんな我が家にも家が一軒ぶつかってきていました。私は一軒程度なら大丈夫と考えていました。しかし二軒目がぶつかってきた時は、心の中では、だめかもしれない、と思い土手の上で泣いていました。もし流されれば、屋根の上で救助を待つ近所の方や電柱におられる方、そして、小学校4年生(10歳)の娘は、まず助かる見込みはありません。ただ見ているだけしかできない自分の無力さが情けなかったです。救助に来たヘリコプターも電線が邪魔で思うように救助が進まないような気がしました。私は土手を降り歩いていると、友人から「家族が救助されたぞ」という話を聞いて安心しました。まだ川の水はおさまっておらず、このまま常総市全体が水没してしまうのではないかというくらいものすごい水圧でした。幸いにも我が家は基礎に重点をおいて、家作りをしたためか、1ミリも家は動いておらずリーフォームのみで済みました。しかし多くの家は、自己資金だけではどうにもならないほどの被害の大きさです。お年寄りが多い常総市、若い世代が転出してしまう等、今後の常総市はどうなってしまうのだろうと考えます。床下浸水の家は災害後もにおいが消えないと聞きます。これからが大変です。とにかく地域を盛り上げるためにも何とかしなければと考えています。家が流されてしまった方、なくなってしまった方のことを考えると本当につらくてどうしようもありません。何とか少しでも力になれることを、これからも考えていきたいと考えています。
この災害に、ご興味をもっていただきまして本当にありがとうございます。1人でも多くの方にこの現状を知ってもらいたいと考え筆をとりました。教える立場の方々には、ぜひ人の役に立つ学生さんを育てあげ、被害を最小限にできるよう伝えてほしいと思います。また、考える時間を与え、どうしたら平穏に過ごせるかを考えていってほしいと思います。このような災害に遭わず皆様方に平穏な日々が続くことを心から願っています。
2015年9月茨城県常総水害に関する看護支援レポート「平成27年9月関東・東北豪雨」
ネットワーク活動・調査調整部 青木実枝
(山形県立保健医療大学)
9月7日から発生した17・18号台風が温帯低気圧になり、鬼怒川に沿って線状降水帯が発生し、関東から東北にかけて豪雨災害をもたらした。
茨城県常総市は、11日に大雨特別警報が発令。鬼怒川および支流の堤防が決壊、越水や溢水により甚大な被害を受けた。
初動調査にも赴いたが、浸水被害を受けた病院に知人がいたためボランティアにも行ったので、合わせて報告する。
9月19日~23日の連休を利用して、病院に手伝いに伺った。連休中は晴天が続いていたので、埃でもうもうとしている街には作業着姿のボランティアがいたるところで活動していた。浸水した地域の家々の塀や壁には1m60~80㎝位の位置にくっきりと浸水跡が残されていた。
浸水から1週間過ぎているが、病院地下にはドロ水が貯留し、1階の診察室、放射線室、検査室、透析室等の機器類はすべてドロ水に浸かり使用不能状態であった。個人情報に配慮して一般ボランティアを受け入れていない為、作業は病院職員と職員の知人等で行われた。男性は破損した機器類の搬出と、バケツリレーによる地下のドロ水汲みだしを行い、女性はドロ水で膨張し重量が増したカルテや重要書類を洗浄し、屋上まで手渡しリレーで搬送し天日干しを行った。病院長の判断により、職員達は19 日を一斉休暇にしていた為、皆きびきびと作業をこなしていた。しかし連日の作業、自家用車の喪失、つくば市に託児所があり通勤距離の延長等により疲労は蓄積していた。
隣接するつくば市には多くの医療機関があるが、つくば市まで通院できない住民のために常総市から診療再開を要請され、仮設テントによる外来診療の準備も進められた。
11月9日に初動調査を行った。調査は、常総市で浸水被害にあった2病院と1訪問看護ステーション、およびDMAT派遣や常総市から入院患者の受け入れ、訪問看護ステーションの支援を行ったつくば市の1病院に実施した。
浸水した一方の病院は、すでに透析30台がフル稼働し避難した患者30人が戻っていた。また、1階のいたる所で工事や機器搬入が行われ活気に満ちていた。他方の病院では職員による破損個所の整備が静かに行われていた。
病院避難に際して、一方の病院は転院先の調整は全てDMATが行ったので、病院3階に避難させている入院患者を1階まで移送し救助ボートに乗せることに専念できた。他方の病院は、救助隊から転院先が確保されなければ搬送できないと告げられ、転院先病院の確保や搬送順番の修正に追われ混乱をきたしていた。救助に参集する組織の特徴を理解する必要があると痛感した。
多方面の支援を行ったつくば市の病院では、精神CNSのアドバイスを得て、こころのケアにも配慮しながら支援を行っていた。災害時におけるCNS活動効果を再認識した。
平成27年9月常総市水害支援活動を振り返って
~災害支援ナース派遣調整して感じたこと・学んだこと~
公益社団法人茨城県看護協会 専務理事 山本かほる
最近の茨城県は、東日本大震災、竜巻(つくば市)、今回の関東・東北豪雨による水害など立て続けに災害が起こっています。
今回の水害では、日本看護協会との協定に基づく連携のもと約1か月を超える支援活動を行いました。1都6県からなる近隣看護協会の協力によりのべ832名の災害支援ナースを被災地に送ることができました。災害支援ナースを始め派遣に協力いただいた施設の管理者等の皆様に深く感謝いたします。派遣者数は、当会より延344名、日本看護協会より延488名で、主に15箇所の避難所、特別養護老人ホーム、病院等へ派遣することができました。避難所については県保健師・被災地保健師・避難所管理者、地域の方々の要望により、夜間帯17時~翌朝9時まで1泊2日を2人1組で常駐し被災者の健康管理や生活支援、環境整備等を中心とした看護活動に当たっていただきました。
派遣要請については、「日本看護協会との協定」と「茨城県四師会との協定(JMAT茨城)」を基本とし、派遣先の調整を行いました。そのほか県や、被災を受けた病院の患者受け入れた病院、被災した特養施設、被災者受け入れた近隣市等からさまざまな依頼があったため、現場のニーズを最優先と判断したうえで派遣先の決定に至りました。しかし災害協定を結んでいないなかでの派遣要請は判断に苦慮したところです。県、市町村は一職能団体に任せるのではなく当事者として真剣に考えていく必要があるのではないかと強く感じました。
今回の水害での支援活動を経験し、多くの課題が顕在化しました。特に常総市の中核をなす2つの病院が甚大な被災を受けたにもかかわらず協会としてマネジメント機能を発揮することができず悔やまれます。発災地は協会本部から約84㎞と遠隔地であったことから発災時の初動体制や情報収集方法、連絡体制等にさまざまな課題が発生しました。今回の教訓をもとに現行のマニュアルの見直しや体制整備が早急に必要です。さらにJMAT茨城を始め他専門職チームとの連携についても検討していく必要があります。
災害支援ナース活動の振り返りについては、報告会開催やレポートを通じて現場の声を会員の皆様へ報告することができました。
最後になりますが、災害支援ナースの派遣調整にあたり日本看護協会と連携協働により取り組めたことは本会にとりまして貴重な経験となりました。また、災害支援ナースの活動は多 くのメディアに取り上げられるなどその存在が明らかになったものと考えられます。水害発生から7ヶ月を過ぎ、事務的にはまだ終息には至っていない中、4月14日に熊本地震が発生しました。甚大な被害を受けられた方々に対し心よりお見舞い申し上げます。現地の1日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。
人為的災害への看護―テロ・犯罪被害者ケアに向けて
杏林大学医学部付属病院 リエゾン精神看護師(精神看護専門看護師)川名典子
IS等過激なグループによるテロの脅威が高まり、世界中で無差別テロへの警戒が真剣な課題となっている恐ろしい世の中である。日本ではまだISによるテロの脅威はあまり感じられないかもしれないが、無差別テロはすでに日本国内で発生している。1976年過激派による三菱重工爆破事件では死者8名、負傷者300名以上の被害があり、1995年には狂信的カルト集団オウム真理教による、松本および地下鉄サリン事件の2つの事件で死者21名、負傷者6000人以上を出している。このような人の悪意によってもたらされるテロや犯罪(レイプ、強盗傷害、殺人未遂等)そして拷問よる被害者の精神的被害は大きいといわれている。
人の悪意によって起こされた被害者は、命が危険にさらされる体験をするだけでなく、人の悪魔的側面を覗き見るような体験をするわけで、人一般や人間社会への不信と失望感が増大することが多い。 今も日本各地で発生している大規模自然災害には本当に心が痛むが、地域性のある大規模自然災害の被害者は行政や周囲からの支援が比較的受けやすく、また阪神淡路大震災以来、災害時に多くのボランティアが参集する文化が根付いていくのを見ると、人の善意を信じること、まさに社会のPost traumatic grouthを実感することができる。しかし、テロを含む犯罪被害者の場合は、被害者達の居住地が近接しているとは限らない。松本サリン事件や和歌山のえひめ丸沈没事件、池田小事件のような地域性がある場合もあるが、一般には犯罪被害者が公的支援ことに精神的なケアを受けられる機会はほとんどない。そのため、被害者は精神的には不健康となる可能性が高く、心的外傷後ストレス障害が看過され、家庭や職場での適応問題を生じさせ、社会からさらに孤立するという負の連鎖となる可能性がある。たとえば地下鉄サリン事件の場合にもあれぼど多くの被害者がありながら、公的なケアは皆無であった。被害者にとってはこのような世間の無理解・無関心が二次被害となり、人間不信・社会不信を増幅させてしまうことにつながる。
テロや犯罪被害によって身体的被害を受けた場合、被害者がまず接するのは医療機関であり、初期接触をもつ専門家は看護師である。被害者ケアの知識を持って対応することが、被害者の人間不信・社会不信の芽を伸ばさないために非常に重要となる。それゆえに被害者ケアにおける看護師の責任は重い。しかし、看護師はPTSDの治療法に精通している必要はない。それよりも初期接触での適切な対応と、被害者の養生法について理解しておくことがいかに重要かということである。
たとえば、テロ・犯罪被害者への精神的ケアの特徴として、体験した恐怖や不安に対して共感的に接するだけでは不十分である。それ以上に重要となるのは、“テロも犯罪も許されない行為だという、市民としての犯罪への怒りを表明すること”であり、日本は法治国家であることを確認する言葉かけが、社会を信頼できるものとみなし被害者が回復に向かうことができる第一歩になることを知ってほしい。筆者は被害者ケアにおける看護師の初期接触の重要性について、臨床的には強い実感があるので、ぜひこのような知見が積み重ねられエビデンスとなっていくことを望む。
日本中の看護師が被害者ケア・養生法について少しの知識を持っていてくれたら、それを家庭や社会で少しづつ啓蒙してくれたら、どれだけ多くの被害者が安堵するだろうか。看護師への社会的期待と信頼も高まるのではないだろうか。
最後に、昨年の交通事故件数は57万件であり、死者は4000人強であった。この人たちも人為的災害被害者であり、中にはケアを必要とする人々も数多くいよう。地域性がないために多くの人々が精神的ケアを受ける機会がなく、孤独に対処していることを想像すると心が痛む。
熊本地震先遣隊としてのレポート
末永陽子 国際医療福祉大学 福岡看護学部看護学科
西上あゆみ 梅花女子大学看護保健学部看護学科
山崎達枝 東京医科大学医学部看護学科
三澤寿美 東北福祉大学 健康科学部保健看護学
平成 28 年熊本地震は、4月14日に発生した震度7(M6.5)をはじめとし、16日未明には震度6強(M7.3)、その後も震度3以上の揺れが1ヶ月以上続いています。この一連の地震により、倒壊した家屋に下敷きになった被災者以外にも、土砂災害による被災者も生じました。
私たち4名は、日本災害看護学会先遣隊第1班として4月16日に現地入りし、18日までの3日間活動しました。福岡から熊本市内を目指し、南下しましたが、市内に向かうにつれ、道路の陥没・液状化・マンホールの持ち上がりが見られ、また、震度3以上の余震に遭遇しました。
最初に訪れた熊本県看護協会では、被災状況や今後の活動についてお話を伺い、一番被害が大きい地域である益城町の避難所へと向かいました。ここでは、自衛隊・災害医療支援チームが救護所を開設しており、行政職の方々は避難所から溢れんばかりの被災された方々への対応を行っていました。
その後、避難所となっている学校、被災地域の避難所、福祉避難所、特別支援学校等を周り、情報収集を行いました。訪問時には、被災者の訴え、避難所を支える行政の方々の声に応じて、情報提供や環境調整を行いました。
訪問した施設の中には、大きな駐車場を持つ産業展示場がありました。日中は数百台の車が駐車していましたが、場所取りをしているようなキャンプ用具が置かれ、駐車場は夜になると隙間もないほどに埋め尽くされるとのことでした。また、避難所として指定されていないため、簡易トイレなどの支援物資は届かず、一時期は穴を掘って排泄していたそうです。
熊本市内の各避難所では、トイレの排水に溜めた雨水などを使用していましたが、収容されている人数が多く、トイレの使用者も多いため写真のようにトイレ前にバケツが山積みとなり、水運びが大変と話されていました。
避難所によっては、日中滞在している被災者と、日中は外で活動し、夜に避難所の駐車場に戻ってくる被災者との間には、気持ちの上で隔たりが生じていたそうです。しかし、そのような中で被災者の心を一つにしたのは、「自助では助からんとよ。共助でなければ助からんとよ。」と叫ぶ消防団の団長の声でした。
また、避難所を運営している防災士の方からは、「看護師がいるあそこの避難所は上手くいっている。看護師に来てほしい」と看護職を求める声も耳にしました。特に私たちが訪れた時期には福祉避難所が運営されているとは言い難く、避難所で丸二日車椅子に座ったままの方や、障害を持つ方が少しでもゆとりのある避難所を探して家族とともに転々と避難所を移動されている姿もありました。
避難生活が長期化し、今後も健康被害が予測される中で、これまでに蓄積されてきた看護の知を持って、今後の支援のあり方を考え、被災者に寄り添うことの重要性を痛感しました。
編集後記
梅雨シーズンに入り、熊本地震被災地をはじめ日本中で水害への備えと対応が重要となっています。今回は、自然災害に関しては、常総市水害関連の記事3編、熊本地震先遣隊レポート1編のご執筆を頂いています。中でも、流されず一軒だけ残った白い家の住人でいらっしゃる中澤様からのリアルな体験とメッセージは、私たちが人として看護職として必要となる様々な学びが詰まっています。また、世界中で起こっているテロや犯罪に関連し、犯罪被害者ケアに関する適切な対応について考えさせられる貴重なご執筆を1編頂いています。読み応えのあるニューズレターが作成できたと思います。(記:神崎初美)