「語り継ぐことの重要性」

兵庫県立大学地域ケア開発研究所 渡邊智恵

2005年の国連防災世界会議のテーマ別分科会で、WHOのDr David Nabarro氏が、スマトラ沖地震の被災者に対する心からの哀悼の意とともに、「防ぐことのできた死」がたくさんあったことをビデオメッセージで流した。  Dr. Nabarroは、災害の教訓を語り継ぐことの重要性、災害時にケアニーズの高い人々に対する対応策を検討する必要性を強調した。さらに、彼はスマトラ沖地震で、地震の後には津波が来ることを、歌で親から子へと語り継いでいる島があり、そこでは生存率が高かったことを紹介した。親が何度も何度も繰り返し歌い、子供たちはその歌によって津波のときの対応のしかたを自然に学び、生き残ることができた。その歌は、地面の動き、津波が起こる前の海面の動きと、それに伴って高地へ避難するというものであった。

日本にも災害教訓の名作といわれる『稲むらの火』という物語がある。モデルは安政地震の際の紀州有田郡広村(現在は和歌山県広川町)の出来事である。その要旨を紹介する。

*  これまでに体験したことのない地震に、五兵衛は波が沖に沖へと動き、海岸が広い砂原に変わるのを見て、「大変だ、津波がやってくるに違いない」と思った。そこで、一刻の猶予もならずと、取り入れるばかりのたくさんの稲に火を放った。『もったいないが、これで村中の命が救えるのだ』と。その火に気づいた村人は、火を消そうと急いで山手に駆け出した。火を消そうとする若者に、「そのままにしておけ。ほら、来たぞ」と五兵衛は言い、彼の指差す方向には、遠く海のはしに非常な速さで押し寄せてくる細い暗い一筋の線があった。津波が百雷の落ちたようなとどろきで陸にぶつかり、人々は腰を抜かし後ずさりした。稲むらの火は、風にあおられさらに燃え上がり、夕闇に包まれ、あたりを明るくした。はじめて我に返った村人は、この火によって救われたのだと気づいた。

*  『稲むらの火』は、スマトラ沖地震の影響で再び脚光を浴び、国連防災世界会議の中では朗読された。現在はで子供たちのために人形劇などで上演されている。

自分の住んでいる土地の過去の災害に目を向けて、世代や時代を超えても、人々や社会によって語り継がれるような防災文化の育成が求められている。 日本では阪神・淡路大震災が災害看護の初発となり、さまざまな体験記としてまとめられ、継続した研究もなされている。一方で、語り告がれていない、あるいは記録に残していないものもあり、人々の記録からも記憶からも忘れ去られている災害もある。文字や歌、絵や写真を通してと、表現方法は異なっても、災害看護の知恵や技をいかに後進に伝えていくかが問われている。

 





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