平成19年新潟中越沖地震
―はじめての避難所看護体験・看護協会の支援ナースに応募して―

聖十字看護専門学校  副校長 宮本 清子

 

平成19年7月16日、新潟県に震度6強の地震が発災した。三重県看護協会から支援要請があり被災地へ出向くことになった。私には始めての体験なので出発までは不安と緊張の時期であった。  三重県看護協会では平成15年から「災害看護教育」を実施しており、災害看護基礎教育受講修了を条件に支援ナースとして有志者の登録制度化がなされている。平成17年には「災害看護支援要綱」も完成して準備完了していたが、派遣される機会がなく,このたびは初めて要請に応える機会となった。  8月2日、朝から2名体制で三重を出発、その日は新潟市内で宿泊し、翌朝,柏崎松浜中学の避難所へ到着した。道中で見かける無惨にも全倒壊した家屋や傾いた家並みなど地震による生々しい被害の状況が痛々しかった。  避難所の校庭に自衛隊の大型車や仮設トイレがずらりと並んでいるのを見て、被災地ならではの厳しい情景を目の当たりにし,しばし立ちすくんだ。私たちは体育館へ入り、前任者他県看護協会から派遣されていた2名の看護師から申し次を受け任についた。この避難所の本部には現地の自治会長をはじめ、県、市の職員、中学校の教師、地区の婦人部のボランティアの方々、保健師、看護師が夫々役割分担をして避難者及び地域の被災者へ疲れた顔も見せずに対応されていた。当避難所は発災初期には約450名の方が避難されていたというが、その後、ライフラインの復旧により殆どの方が自宅に帰られ、18日目に当たる8月3日は広い体育館に8名の高齢者を残すのみとなっていた。避難所のケアの具体策では,夏の暑さ対策には、男女の区切りだけに留めて扇風機と氷柱の対応。食事は8月3日の昼食までは自衛隊の支給があったが、その後はおにぎりや菓子パン、レトルト食品の粥などの提供や避難者の中には、インシュリン自己注射をしている人もおり、避難所生活と食事の不自由を余儀なくされている方々の心痛はいかほどかと考えさせられる場面が幾つかあった。  8月5日には当避難所は撤収することが決まっていたようであるが、8月4日にA県看護協会から派遣された看護師が、「派遣要請」があったとのことで当避難所に到着された。A県チームも始めての支援活動ということなので何か活動させていただいきたいという思いもあり調整の末、他所の避難所で活動することになった。この調整に2時間余を費やした。このことは,日本看護協会という大きな組織が災害看護に大きな貢献と進展を見ていることは喜ばしいことでもあり、結果,避難所に於いて対象となる人々の個を尊重したケアが可能となるなどとても重要な役割を果たしている。が、しかし,組織力を駆使し,かつ,調整に齟齬が生じないような「調整力」も大切な災害看護の要素である事を学習する機会でもあった。 ― 撤収の 朝まで咲いて 月見草 ―

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宮本清子

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