福井大学医学部附属病院 斉藤仁美
2004年7月福井県において集中豪雨が発生し、土砂崩れ、床上浸水等の多大なる被害を受けた。私の実家も洪水の被害に遭い、住居はもちろん自家用車、農作業小屋、農機具等すべて一瞬にして洪水に飲み込まれた。稲穂が実りそろそろ収穫の時期だったが、全て土砂の下になったのである。被害の大きさのわりに家族には怪我ひとつ無かったことが不幸中の幸いだった。しかし、「いのち」が助かったと実感する間もなく現実との戦いが始まった。スコップ等で土砂を運び出すという単純で地道な復旧作業が続き、天気が悪い日などはいたちごっこで、私は生まれて初めて「災害被害者」という体験をしたのであった。作業は連日、長時間続き、不規則な食事と言うより間食のようなもので、食生活は崩れ、入浴もできず、寝るのもただ横になるという日々が続いた。人間の生活のリズムは食事から、と病院で食事の大切さを十分に理解しているつもりであったが、作業中はその事すら忘れて没頭し、また空腹を忘れるくらいであった。 先の見えない復旧作業での肉体的疲労に加え、ダンプカー等による騒音、振動、排気ガス、生活廃水から出る悪臭などからも精神的な疲労はピークに達していた。その頃に、私の勤務先でもある福井大学医学部附属病院のスタッフや同大学の学生達がボランテイアに参加して下さったことで、強い精神的な安堵感を得たことを覚えている。被災地の住民のなかには、次第に頭痛や吐き気、めまい等を訴える人々現れた。そのような被災者に看護師として適切な対処をすることができたが、精神的なアプローチはどうであったかと疑問に思う。 災害対策本部が置かれている役場には早い時期から救援物資の支援が始まっており、そこでもボランティアが活動して下さっていたが、復旧作業の現場に訪問医療の目立った支援はなかった。この点が今回の医療支援の問題点となっているように思う。 私たち医療従事者は災害が起こった際、適切な対応や処置が実践できる知識やスキルが必要とされている。そのために、災害対応を想定したトレーニングが重要であると思われる。また、災害現場に医療が不足している場合は、地域住民同士が協力すて「救護」にあたる必要があり、そのための適切な知識や技術、訓練等をアウトプットすることも看護の役割である。このようなことも「備え」であると私は思う。