JSDNニュース No.41
一般社団法人日本災害看護学会
第23回年次大会のご案内
第23回年次大会 大会長(長岡崇徳大学) 山﨑達枝
【長岡現地開催からオンライン開催に変更】
時下、会員の皆様におかれましては、ますますご活躍のこととお慶び申し上げます。
当初2021年9月4日~5日の2日間新潟県長岡市にて開催予定で企画を進めておりましたが、新型コロナウイルス感染症の終息が見えない中検討を重ね、第23回年次大会は、参加者の安全と健康を最優先と考え、現地開催を諦めオンライン(ライブ配信、オンデマンド)で行うことを決断いたしました。
改めて、目に見えない病原体による未知の感染症の最前線で今も闘っておられる全国の医療従事者の方々に、心からの敬意と感謝の意を表したいと思います。感染しお亡くなりになられた方、医療関係者に多くの教訓を残してくださいましたことに感謝とご冥福をお祈りいたします。
新たな感染症との闘いは、まだなお厳しい状況ではありますが、開催させていただくことは非常にありがたく、また大きな意味を持つものと自負しております。大会のテーマは「災害多発時代に守りたい生命(いのち)とこころ~実践知をともに未来につなぐ~」としまして、大会のテーマに添ったプログラムの概要を紹介します。
特別講演1では、「中越地震を今につなぐ」として、長年過疎化の進む地域における復興活動を通し、被災地にとって真の復興とは何かを改めて問い、考えて参ります。特別講演2では、東日本大震災の釜石市の遺体安置所において、被災者である釜石市民はじめ多くの支援者により、犠牲者を一刻も早く家族と再会させてあげたいという思いから、遺体の搬送や検視、身元確認などのつらい作業にあたる姿が描かれた、映画「遺体」の原作者にご講演いただきます。
教育講演では、理不尽にも亡くなられ家族から突然遺族となる忘れられる被災者家族支援について、被災現場で活動する人々の惨事ストレス、昨今気象の温暖化による自然災害の多発から激甚気象と災害など、近年特に課題となっているテーマを中心に取り上げました。シンポジウム・パネルディスカッションでは、要配慮者の方の避難をどのように地域で支えるか、多発する水害において避難行動を非日常から日常とするための支援、災害関連死ゼロに向けた支援、さらにこれまで問題となりながらも取り上げられる機会の少なかった性の問題や雪害などについて、体験者・支援者の方たちとともに皆様とともに意見交換したいと思います。また、多くの市民の皆様にも参加していただきたく市民公開講座「(仮)災害とフェイクニュース-自分と家族を守るためにできること-」もオンライン開催といたします。
この年次大会を通じて、全国から参加されます皆様と意見交換をしながらともに学び合いの場、「寄り添い」「つながり」を深められる実践の積み重ねの場とできれば幸いです。新しい生活様式ソーシャルディスタンスが求められ、人と人との距離が広がる今だからこそ、寄り添い、人とつながることの新たな方法を模索しながら、その意味を考えていく極めて有意義な機会にもなるでしょう。この大会が日々命を守るために高い理想と大きな責務を負って従事されている皆様にとっての一助となれば幸甚です。
皆様のご参加を心からお待ちしておりますとともに、ぜひご活動を全国の皆様にご紹介していただけますよう演題発表も重ねてお願い申し上げます。
一般社団法人日本災害看護学会
第22回年次大会開催のお礼
第22回年次大会 大会長(日本赤十字広島看護大学) 渡邊智恵
日本災害看護学会第22回年次大会は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19と略す)の感染拡大により、初めてのオンライン学会(2020年9月28日~10月11日)を開催いたしました。このような状況下にありながら、一般演題69題とCOVID-19関連演題16題を含めて85題のご登録をいただき、感謝を申し上げます。また、事後のアンケートでわかりましたが、コロナ禍で参加ができない、遠方あるいは勤務希望が出せないと諦めていた方もおられたようで、そうした方々を含めて700名の参加者を得て、無事に終えることができました。さらに、コロナ禍で経済的に非常に厳しい中で、今回の学会の趣旨にご賛同いただきました協賛企業の皆様にも感謝を申し上げます。
今回の年次大会のテーマは、「災害へのしなやかな対応-備え・寄り添い・つなぐ-」でした。特別講演、教育講演、シンポジウム、学会企画(組織委員会、国際交流委員会)2題、ワークショップ4つ、交流集会6つは、それぞれの工夫によりライブ感覚のある企画運営にしていただきました。とりわけ、今回の関心の中心はCOVID-19特別企画でした。久留米大学の三橋睦子先生に「新興感染症のパンデミックに備えるための基礎知識」を、和歌山県立医科大学の武用百子先生にCOVID-19に関係した医療従事者に対して「医療者が自らの生活を取り戻していくために」というメッセージをご講演いただきました。三橋先生からは新興感染症に対する基本的な知識の上にたって、これまでの予防行動の継続が重要であり、医療機関の危機管理体制と国民に対して正しく最新の情報を提供することと専門家や行政によって明確な方針を提示することの重要性をご講演いただきました。武用先生からはCOVID-19が発症して何が変わったのか、その際の精神的な問題とともに自らの生活を取り戻すための方策をわかりやすくご講演いただきました。COVID-19をまさに災害であると捉えるということでしたが、これまでの災害の定義との相違点もあり、これからもこの災害と対峙する必要があります。再度視聴したいという希望もあり、学会に参加できなかった方にも視聴ができるように、学会HPに2021年3月末まで動画をアップしました。お二人の講師の方に深く感謝を申し上げます。
オンライン学会を運営した側として、運営方法の決定が遅くなりましたことに対してお詫び申し上げます。夏には収束する可能性を期待し、双方向でのやり取りができないものかと最後まで検討し時間を要してしまいました。皆様のご理解とご協力がなければ、今回のオンライン学会の開催はできなかったと思います。本学会を無事に開催することができましたことを、関係者を代表して感謝申し上げます。
令和2年度の代議員選挙と
選挙管理委員会の活動について
代議員選挙 選挙管理委員会 委員長(甲南女子大学) 松岡千代
昨年度は代議員選挙と役員選挙のダブル選挙が実施された。本稿では、代議員選挙時の選挙管理委員長として、代議員選挙における当委員会の活動と課題について伝えたい。
選挙管理員会は3名の委員メンバーから構成され、それぞれが委員長・庶務・会計の役割を担う。まずは、選挙スケジュールを立てることになるが、今回はダブル選挙ということで、代議員選挙から役員選挙にいたる一連の流れについて原案を作成した。スケジュール原案は理事会での確認と承認を得て、次は選挙人・被選挙人の名簿の作成を行った。会員名簿は日本災害看護学会事務所(以下学会事務所)が管理をしているため、庶務担当が中心となり学会事務所に加えて理事会庶務とも連絡を取りつつ、選挙人・被選挙人名簿を作成した。
当時の会員数は1,300人を超えていたが、学会事務所から送られてきた名簿情報に、選挙人・被選挙人の要件となる入会年度や会費納入の有無,選挙の連続当選回数等の情報を色づけして名簿を作成するがその作業には根気と正確さが必要であった。選挙人・被選挙人名簿も理事会での確認と承認を得て、次に学会HP上でのオンライン選挙システムの作成に入った。選挙システム自体は学会事務所が作成するが、運用前の段階で不具合がないかどうかの確認を行った。
一方で、投票率の向上のためには広報活動が重要である。今回の代議員選挙においても、広報委員会の協力を得て学会HPへの選挙告知の掲示、ニュースレター発送の際の告示文の同封、会員への一斉メールによる周知を図った。しかしながら代議員選挙の投票率は、前回選挙に比べて上昇したものの34.0%にとどまり、改善の余地が残された。
選挙管理委員会は、公正・公平な選挙の実施と管理が最重要な役目であるが、それに加えて会員を代表する代議員・役員を選出する選挙の投票率の向上を図ることも重要である。今回、投票率が伸び悩んだ背景には、会員のメールアドレスが未登録・不明なことや、会員による情報更新がされていないこと等があげられた。学会事務所や広報委員会と協力しつつ、選挙前には会員情報の更新をキャンペーンするなど、積極的な告知活動をしていくことが今後の課題である。
東日本大震災から10年を経て
これからもずっと忘れない出来事
市立敦賀病院 災害看護専門看護師 井上ひろみ
東日本大震災から10年が経過したが、今も鮮明に心に残っている出来事がある。震災から4年後、「福島県の子どもさんとお母様との遊びと語りのプロジェクト」で現地に伺った時のことである。
大きな広場で走り回って遊ぶ子どもたちが怪我をしないか見ていた時、3歳くらいの男の子が両手で花のつぼみのような形を作り、私に走り寄ってきた。何か問題が発生したのかと思い、「どうしたの?」と問いかけると、男の子はゆっくりと両手を開いた。中には小さな緑色のバッタが一匹、キョロキョロと顔を動かしていた。そして男の子はバッタを見、私の顔を見てとてもうれしそうに笑った。私は、「バッタがいたの?よかったね。捕まえたんだ。すごいね。」と話しかけた。男の子は大事そうに両手にバッタを乗せながら走り去った。その時の私は単純に、楽しそうでよかったという思いだった。
その後、男の子が通う幼稚園の園長に、被災から今までの経過や思い等、お話しを伺うことができた。その中で「ま、外で遊べないしね。幼稚園児なんてエネルギーの塊みたいなもんだから、チョロQみたいにビューっと走って行っちゃうみたいな。そういう子どもたちを、こう押さえつけてきたからね。外へ出ちゃだめよって。虫とっちゃだめよって。震災の年にさ、子供らが(七夕で)願い事書いたのは、“外で遊びたい”。そういう願いが爆発するのは、本当申し訳ないと思うし、情けないと思う。でもその願いは叶えてあげたいなと思っていて。僕がしたいのはただ家族と大切な人たちと笑いあいたいだけなんだ。」と話された。当たり前の生活ができず、子どもたちに外に出るなと言わなければならない大人の辛さ、悲しみ、複雑でやり場のない感情が伝わってきた。この話を聞いた瞬間、嬉しそうにバッタを見せてくれた男の子が頭に浮かんだ。外で遊べず昆虫にも触ることができない現状の中、今回久しぶりに放射能汚染の心配がない広場で走り回ってバッタを捕まえたことが、この男の子にとってどれほどうれしい出来事であったか、そのことを心から実感し理解でき涙があふれ出た。
私はあの時のことをこれからもずっと忘れない。命と暮らしを守るとはどういうことか、寄り添うとはどういうことかを考えさせられる大きな出来事であった。今後もこの思いを忘れず胸に持ち続け、災害看護を探求し実践していきたい。
世界未曾有の3重苦からの教訓
小磯京子
2011年3月11日、何の前触れもなく突如東日本を襲った東日本大震災はマグニチュード9.1の大地震と直後の破壊的な津波を引き起こし被災4県は甚大な被害を被った。
中でも福島県は福島第一原子力発電所の事故により放射性物質が周囲に飛散し、世界の大災害歴史の中で巨大地震、津波、放射能汚染という未曽有の3重災害に見舞われた。これにより原発の位置する多くの住民が突然の避難生活を余儀なくされた。当時、私は被災地の専門学校に勤務し自宅も職場も被災した。原発事故後は幹線道路が封鎖、通勤できず同じ境遇の同僚と看護実習室で数週間を過ごした。
当時を思い出すたび未だにその時の恐怖と不安に引き戻される。震災により突然、平穏な日常を失い、狭い仮設住宅での生活、放射能汚染の恐怖と不安等、非日常な生活が及ぼす心身のストレスは私のみならず住民にとって計り知れない負荷を掛けているとの思いが強くなり、多重災害を経験した避難者のストレスについて調査、研究を行った。結果、福島県から県外に避難した世帯の3年後の主観的ストレス度は、通常は重ならない一般的な人生のライフイベントが、同時3重災害により家族の死、家族との離散、会社や学校の中断等、イベントが同時に重複するため相加的に増大する結果が確認された。
震災から10年の節目を迎えた。しかし、未だ収束していない原発事故。先の見えない避難生活を送っている避難者が全国各地にいる。震災関連死が被災4県の中で福島県が最も多いことを鑑みても、より一層継続した支援が避難者には必要であることは言を待たない。特に災害時要配慮者の高齢者や独居者は特段の配慮が必要である。その上で問題点を再検討し孤独死などを防ぐことが重要であろう。
2021年2月13日に震度6強の地震が福島県沖で発生した。原子力発電所に被害はなかった。しかし、家屋の倒壊や土砂災害に見舞われ10年前の震災が再び頭を蘇った。
日本は地震、風水害など自然災害が毎年どこかで必ず発生している。いつ、どこでどのような災害に遭遇するかは誰にも予測ができない。災害発生後は被災者のストレス増が懸念される。だからこそ自治体等の関係機関と連携し切れ目のない、情報の共有と長期にわたる継続支援が必要である。
災害は「ない」に越したことはない。私たちは10年前の震災とそれに伴った3重苦を教訓として、「備えあれば憂いなし。何が起きても連携して生きていく!!」と言えるだけの災害認識と防災教育と地域連携が、今後はより一層重要であると考える。
福島県内の仮置き場に置かれている除染土などが入った多数のフレコンバック
(2021年4月13日:筆者撮影)
原発事故により立ち入り制限を示す帰還困難区域の立看板
(2021年4月13日:筆者撮影)
被災地となった故郷への思い
菅原千賀子
東日本大震災から先日の3月11日で10年という月日が経過しました。みなさまはこの10年をどのように振り返られたのでしょうか。私は「この10年という区切りが、震災を過去のものに切り替えてしまうのではないか」そんな不安とも焦りともいえない、なんとも複雑な思いを抱きつつ、先の3月11日を迎えました。
私の故郷である宮城県気仙沼市は震災で甚大な被害を受けました。当時東京にいた私は連絡の取れない家族を思い、脳裏をかすめる最悪の事態を覚悟し打ち消すことを数日繰り返していました。しばらくして「つながったねー」という母の声に、やっと地に足がつく感覚を得たのを覚えています。そして「私にできることなんてあるだろうか」と自問自答を繰り返していた折「力になるよ」という友人らの声に背中を押され、震災から6日後、医療チームを結成し気仙沼に向かうことができました。当時の故郷の光景はまさに想像を絶する光景で叔父が「もう、何もかも…気仙沼ねぐなって(なくなって)しまった…」語る様子に、故郷の人々の思いを重ねて涙が止まりませんでした。巡回した避難所では板張りの床に毛布を一枚敷き、ありったけの衣類を着込み、ただただ耐え忍んでいる人々の姿を前に、自身の無力をまざまざと感じたことを覚えています。
そして、日を追うごとに現地の市役所職員が体調不良を訴える様子を目の当たりにした私たちは職員を対象とした巡回型の健康調査に乗り出しました。そして一様に血圧値が高い様子から9か月後、再び血圧値の調査に向かいました。結果、9か月後の血圧値は改善するどころか2/3の方が悪化傾向を示し、特に40歳以上の男性に血圧値の異常が続いていることが明らかとなりました。また5年後、改めて気仙沼自治体職員の方々にインタビュー調査をした結果では当時、様々な葛藤の中にありながらも同僚や、住民、支援者などの声掛けや心意気によってその都度奮起する機会を得ていたことが語られました。更に昨年にかけ、震災9年をどのように捉えているのか調査した結果では、復興業務が依然として道半ばにあり、亡くなった人々やかつての街並みを今更ながらに思い出し、思いを馳せる様子が明らかとなりました。
被災地に住み続けている訳でもなくあの津波を目の当たりにさえしていない私が、中途半端な立場で何が言えるのか、まだその問いに答えは見いだせてはいませんが「中途半端だからこそできることがあるのではないか」そんな思いを胸に、これからも私なりに東日本大震災と向き合っていきたいと考えています。
そして、皆様にお願いがあります。コロナ禍が落ち着きましたら、是非被災地に足をお運び頂けないでしょうか。あの時、被災地に思いを寄せていただいた事がどれだけの多くの人々の命や人生を支えたのか、そしてあの悲劇を被災地の人々がどう生き抜いてきたのか、お感じ頂ける機会を頂ければと思います。きっと、このことが本当の御礼になると信じています。また、被災地を訪れることが災害から命を守る為の術と、人間の真の強さを目の当たりにできる場になっていくのではないかとも考えています。「被災地を忘れないで欲しい」という思いから「災害から命を守る術を学べる場へ...」そんなふうに変わりゆく被災地の様子をお感じ頂けたら嬉しいです。
気仙沼市役所に設置した仮設診療所前で活動を手伝ってくださった岩見沢市立病院の方々と
(前列左端が筆者)
震災前の気仙沼の様子
(筆者友人撮影)
編集後記
前年度の同じ時期のニュースレター(39号)を振り返ると、新型コロナウィルス感染症に関する記事があり、いろいろな貴重な示唆をいただいていました。しかし、1年以上が経過しても私たちはやはりコロナウィルスに立ち向かっており、年次大会は昨年に引き続き、今年度もオンラインでの開催が決定しました。この決定は、マスクをすることなく、普通に人が集い、ともに見識を高めあう機会を切望していた故に寂しくはありますが、よりいっそう意味のある学会になると思っています。一方、2021年3月を迎え、東日本大震災から10年という月日が経ちました。今回のニュースレターではそこで3名の方から寄稿していただきました。10年という月日が長いようでありながら、いただいた原稿は、どれもがその時の様子をまざまざと伝えてくれるものになっていました。決して風化させることなく、その思いをつないでいきたいと思います。
社会貢献・広報委員会 西上あゆみ